黒狼中隊さん主催・2008春季攻勢「Eindorf1945」in VILLAGE-ONE 参戦記
(2008/3/22)
戦いの設定については、ザルツ中尉殿のHP・Die Truppe schwarzen Wolfesをご覧あれ!!
我が中隊の隊員紹介である。
米国陸軍第101空挺師団 第506連隊第一大隊C中隊(CURRHEE)
サイモン・ホワイトモア 中尉(愛称:LT)
大学卒業後に郵便局員として働き、妻と2人の娘を授かったが、第二次世界大戦の開戦とともに陸軍へ入隊。その後すぐに士官候補生学校へ進み、卒業後に空挺第101師団506連隊に少尉として配属となった。
連隊では第1大隊のC中隊に所属し、第3小隊の小隊長としてノルマンディに降下した。D-DAY後には中尉に昇進している。
2度負傷しながらもフランス→オランダと小隊の指揮を執り、オランダでは銀星章を受賞した。
その後、C中隊長がマーケットガーデン作戦において戦死したため、繰り上がってC中隊の中隊長を任命されることとなった。
そして、今回のバルジの戦いに臨むのである
B・M・Ryo 軍曹(愛称:ビッグ)
学生でありながら命の在り方に強い関心を抱きその答えを求めて空挺に志願・・・
人を撃った経験無し、ノルマンディでの初の戦闘で人の命を奪うことになり、戦争に対して懐疑心を抱いたまま今回の戦闘に臨むのである。
チック・コーマン 一等兵(愛称:チェリー)
地元シカゴの高校を卒業後、定職に就くこともなく女と酒におぼれた生活を送っていたが、3人の売春婦を殴打したことによる暴行罪で有罪となった。
警察において、刑務所と軍隊との2択を迫られた彼は仕方なく軍隊へ入隊した。
だが、生まれ持った明るい性格と強じんな下半身は正に軍隊向きであり、訓練によって一流の兵士となったのである。
D-DAYでは降下時に右腕を負傷するもそのまま戦い続けたが、3日後に手りゅう弾の破片を首に受けて後送された。
その後、3週間で病院を脱走し、隊と合流した。
バルジ大作戦時には、第3小隊の第2分隊の1等兵として最前線に配置された。
ヤニック・ダニー 二等兵(愛称:キング)
地元の高校を卒業後、コメディアンとして舞台に立っていたダニーだったが、ノルマンディで彼の弟が戦死した知らせを受け、空挺隊に志願した。
マーケット・ガーデン作戦時に補充兵として中隊に配属された。
もともとコメディアンだったこともあって、隊のムードメーカーとして彼の周りから笑顔が無い日はない。
独軍が待ち受けるアインドルフの防御陣地。
独軍兵士達は、昼夜を問わず塹壕や機銃陣地の構築を行なったようだ。
陣地を下見する空挺隊員。
やがてやってくる戦闘を想い、周囲に緊張が走る。
今回出撃した、第一小隊第二分隊の隊員。
分隊長は真ん中のビッグことRyo軍曹が努めている。
小隊長のナヴィ少尉はバトル・オブ・シオーダで負傷し不在。
左のチック一等兵は元々第一分隊の所属であったが、T・ツォ先任軍曹やマーティン伍長をはじめ隊員のほとんどが負傷により戦線を離れたため、一時的に第二分隊に編入となった。
塹壕内のトンネルをチェックするRyo軍曹(左)とヤニック二等兵(右)。
既に撤退したのであろうか、敵の姿は見えない。
その後、連合軍が集結。
指揮をとったのはレンジャー大隊のJUNKER大尉殿。
101空挺隊員、レンジャー隊員、陸軍歩兵、英国空挺隊員、MP兵が入り混じった混成部隊をまとめていた。
また、レジスタンスも合流して敵の情報を交換した。
そして、独軍との戦闘が始まった・・・・・
激戦が続く最前線へ向かう連合国軍兵士達。
その心に何を想うのであろうか・・・。
櫓から敵を狙撃中のJUNKER大尉とヤニック二等兵。
その後方には英国軍空挺隊員の姿も見える。
猛烈な砲火の中、敵から奪ったKar98で奮戦中のレンジャー隊員(左)とBAR射手(右)。
この後、奮戦も虚しく2人とも独軍狙撃兵の銃撃により戦死した。
最前線で奮戦するC中隊隊員達。
グリースガンを手に突撃の合図を待つチック一等兵。(左)
ブッシュからM1カービンで敵を狙撃中のヤニック二等兵。(中)
左翼の林から突撃する敵をトンプソンで迎撃中のRyo軍曹。(右)
独軍最後の抵抗を受け、一斉射撃で敵を撃退中のC中隊隊員。
戦闘中に故障したグリースガンに変わって、チック一等兵の手にはM1カービンが握られている。
戦闘が終わり、独軍を撃退した喜びに浸りながらも、散っていった多くの戦友達を想う隊員達。
この敬礼は死者へ向けられたものであろう・・。
戦争はまだ終わらない・・・・・・・。